星野リゾート施設における科学的根拠の明確でない新型コロナウイルス対策について

 


概要

星野リゾート「リゾナーレ熱海」のビュッフェ提供における新型コロナウイルス対策について、科学的根拠の明確でない安全性の説明があり、利用者が正しくリスクを判断する妨げになっているとともに、科学リテラシーの観点から課題のある内容と考えたのでその内容を記します。施設からは説明内容を公表することに同意いただいています。

 

経緯

定額給付金とgotoトラベルを活用し、10/18(日)-10/19(月)にリゾナーレ熱海に宿泊しました。ビュッフェ形式の夕食と朝食をとりましたが、ビュッフェ会場ではマスクは必須となっていたものの、およそ100人規模の利用者が共有のトング等を素手で使って大皿から料理を取る形式となっていました。

ビュッフェでは、トング等を介しての新型コロナウィルスの接触感染の危険が警告されています(日本ホテル協会ガイドラインニュース記事)。これまで他社の施設・店舗ではビュッフェ提供をとりやめたりビニール手袋の着用を必須とする対策を目にしていたため(類似のニュース)、対策のレベルが他施設と異なるという印象を受けました。

任意着用の形で手袋が用意されていたので私と家族はそれを利用し、素手でトング等に触れることはありませんでしたが、目に留まる範囲では他の利用者は全員が素手で共用のトングを利用していました。

 

テーブル上に、安全対策に関する以下の掲示がありました(太字は筆者)。

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新型コロナウイルス対応について

当レストランでは、ビュッフェボード、トングなど複数の方が触れるものには、ウイルスを無力化するメディカルナノコーティングを施しております

安全性は保たれておりますが、感染防止に万全を期すため、料理をお取りいただく際にはマスク着用にご協力をお願い致します。

当レストランでの滞在をごゆっくりとお過ごしくださいませ。

総支配人

星野リゾート リゾナーレ熱海

ビュッフェでは数十秒から数分間隔で多数の人間が同じトング等に触れることになるため、このメディカルナノコーティングがどのような性能を持ったものなのかが気になりました。

 

このメディカルナノコートはナスクナノテクノロジー株式会社が提供元だという記述がリゾナーレ熱海のウェブページにあります。

同社のウェブページを確認しましたが、抗ウイルス効果については詳細条件が不明で、ビュッフェのトングを共用しても新型コロナウイルスに対して安全といえるだけの強い効果が確認されているかについては明確に読み取ることができませんでした。

 

新型コロナウイルス対応について」「安全性が保たれている」といえるのか確信が持てず、(自分と家族は手袋で対策しているわけなのでこだわりすぎだは思いつつも)施設の方に下記の質問をさせていただきました。

1. ビュッフェではトング等の共用を介した新型コロナウイルス感染のリスクが指摘されている。利用者全員に手袋の着用を求めることは考えられないか?

2. メディカルナノコーティングにより安全性が保たれているとの説明について、不特定多数の人が数十秒から数分の間隔で触るようなトングが安全であるためには極めて強い効果が必要と考えられる。施設として、どのように効果を確認したのか?

 

施設責任者の方から社内での確認等も頂き、チェックアウト時までに大変丁寧な回答をいただくことができました。回答の要旨は以下の通りです。

  • 販売元のナスクナノテクノロジー社から「第三者機関でも効果確認した」との説明があったので効果があると考え安全性が保たれていると説明している。どのような機関でどのような検証をしたかは把握していない。
  • 手袋は以前は着用必須としていたが、メディカルナノコーティングを導入したので安全性が確保されたため、とりやめた。これは施設の判断ではなく、星野リゾートの全社としての判断。
  • (効果の強さが十分であるかについて)メディカルナノコーティングの効果は99.99%のウイルス除去効果が3年続くので安全。

 

私は専門家ではないので技術的内容に踏みこんで信憑性を論じることは避けますが、類似の原理によると思われる直近の研究事例においても、新型コロナウイルス量が3桁程度減少するのに1時間程度の時間がかかっているようです。ビュッフェのトングに使って安全なほどの強い効果がありえないとは言えませんが、効果を納得するためにはかなり強い科学的根拠が必要だと考えます

 

星野リゾートから回答を頂いた"99.99%のウイルス除去効果"についてはナスクナノテクノロジー社のウェブサイトに記載がありますが、これはインフルエンザウイルスを使った実験と書かれています(その他の詳細条件不明)。新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスより物体の表面等で長く感染力を保持することが報告されているので、インフルエンザウイルスを用いた実験結果を新型コロナウイルスにそのままあてはめることはできませんし、トング表面に食事中の人が触れた場合に十分近い評価が行われているかも情報がありません。

 

一見科学的な根拠があるように見えるものの、求める効果に対して十分な科学的根拠とならない実験に基づいて数字が一人歩きし、手袋の必須着用という実効性のはっきりした対策が中止されてしまった可能性があると感じました。

 

とはいえ、ウェブページ上で公表されていないだけで、実際にはナスクナノテクノロジー社で十分な検証が行われており、その結果が星野リゾートにコミュニケートされている可能性もあると考え、(ものすごくやりすぎであることは承知しつつ)ナスクナノテクノロジー社に直接コンタクトを取りました。

「数十秒から数分間隔で不特定多数の人が触れるビュッフェのトングのような利用法で、新型コロナウイルス対策としての手袋着用をやめていいような高い効果がメディカルナノコーティングには確認されているか」を質問したところ、突然のコンタクトにも関わらず技術者の方から大変丁寧な回答をいただきました。回答の要旨は以下の通りです。

  • 新型コロナウイルスを用いた実験は行っていない
  • 3年持つといった試験は空港カートの手すり部分での細菌の除菌効果による評価。
  • インフルエンザウイルス、(JIS規格で定められた)バクテリオファージでの抗ウイルス試験を行っており、バクテリオファージはエンベロープのないウイルスなのでエンベロープのあるコロナウイルスより不活化が難しいという前提で、新型コロナウイルスに対しても効果があると考えている。
  • ビュッフェの共有トング等で手袋を代替できるほどの効果があるかは、新型コロナウイルスの付着量等いろいろな条件があるので確かには言えない。
  • 新型コロナウイルスに対して確かに効果があるというコミュニケーションはしていない。効果が期待されるというレベルに留めている。
  • 星野リゾートでのメディカルナノコーティングの効果についての掲示は全てナスクナノテクノロジー社が確認している

 

以上の内容から、星野リゾートからの説明のように「メディカルナノコーティングの効果によってビュッフェで新型コロナウイルスに対して安全性が保たれている」というには科学的根拠が不足していると考えます。

 

また、事実を正しく伝える努力が両社によってなされたかという観点で、回答の最後の点は非常に気になります。前述のテーブル掲示文章をよく読むと、厳密には「メディカルナノコーティングの効果によって新型コロナウイルスに対して安全性が保たれている」という文の接続にはなっていないのですが、そのように読み取るのが妥当だと思いますし、星野リゾートから得た回答も全てこの解釈を前提としたものでした。

 

結論

結果として、星野リゾートからご説明いただいた「メディカルナノコーティングにより、素手でトングを触ってビュッフェをして新型コロナウイルスについての安全性が保たれている」という説明、およびビュッフェでの手袋の必須着用のとりやめ判断は、科学的根拠が明確でない説明・判断だと考えられます。(なお、他の対策を維持した上で、プラスアルファの対策としてこうした抗菌・抗ウイルスコーティングを利用することには一定の意味があると思います)

 

生命・安全に関わる問題ですので安全対策の上での判断はもちろん重要です。ただ、こうした安全対策に完璧はありませんので、もしも素手でのビュッフェがリスクのある形で運用されていたとしても、実態が正しく利用者に説明されている限りにおいては、判断を利用者に任せるという考えはありうると思います。この意味において、特定のレベルの新型コロナウイルス対策を不十分であるとして批判する意図はありません。

むしろ、本件においては科学的根拠の不十分な説明のほうが大きな問題であると考えます。星野リゾートは社会的信用の高い企業ですので、同社からの説明は信憑性の高いものとして利用者に受け取られると思います。すると利用者が正確な認識に基づいて利用の判断をすることができなくなりますし、また、類似の事例が社会の中で積み重なることで、検証過程の明らかな科学的アプローチと根拠の明確でない疑似科学的主張の区別が曖昧になり、社会の科学技術に対する信頼を損なう危険があると考えます。

こうした状況を放置することは、がんの代替医療や怪しい装置などより問題の大きい疑似科学が社会に受容されてしまう状況にもつながりえます。したがって、小さく見えても社会的信用のある企業からの科学的根拠に基づかない安全性の説明を放置すべきでないと考え、このような文章を書くに至りました。

 

事実認識に誤解があれば随時編集履歴を残す形で訂正をいたします。

私が発信して目に触れる相手は極めて少数だと思われますが、関係者の目にとめていただき状況が改善されることを期待します。